日本人で奴隷制度が根付かなかった理由とアユタヤ王国の王女と結婚した山田長政
JUGEMテーマ:歴史認識について
JUGEMテーマ:歴史
JUGEMテーマ:タイ
今日は「日本人で奴隷制度が根付かなかった理由とアユタヤ王国の王女と結婚した山田長政」と題して論説します。
日本は奴隷制度が根付いたという史実はありません。その理由は、羊や牛、ヤギやラクダ、トナカイといった「家畜」を飼う習慣をもっていないからです。
ユーラシア大陸の奴隷制度は、家畜を「コントロール」しなければ生き延びられないという環境が生み出したものともいえます。いわゆる遊牧民と呼ばれるものですが、羊などの家畜を管理、統制しなければ生きていくことができません。
羊や牛、ヤギやラクダ、トナカイが、貯金でいう元本であり、家畜からの乳で作られるミルクやチーズなどが利息です。元本をと殺して食すると減っていってしまうので、血統を管理して統制するという技術が生まれます。
この発想がやがて「他の人間を管理統制する」というシステムにつながり、奴隷制度につながったものとみられています。
人間はアミノ酸を摂取しなければ生きていくことができない動物ですが、ユーラシア大陸の人々のように、家畜からタンパク質を摂取する以外に、日本人のように海産物からたんぱく質を摂取することも可能です。というより、日本は明治時代以降に畜産業が育成されました。逆にそれまで、たんぱく質は自然に存在する魚や貝、甲殻類を摂取することで、日本人は歴史を積み重ねてきたのです。
そのため、海外に日本人町を建設したとしても、日本人は交易ができればいいだけであって、他国を支配する、他国民を奴隷にするという発想がありません。
日本人町で暮らす日本人たちは、現地人と友人になり、人間関係は常に対等でした。ここが欧米列強国の植民地支配との決定的な違いです。
奴隷制度に慣れた欧米諸国は、アジアの人々を下の階級の存在とし、あくまでも所得を搾取する対象でしかなく、決して友人になりません。欧米人とアジア人では階級が異なるのです。
確かに日本はアジアに進出しました。欧米諸国が交易の拠点を設けた国に、日本人も植民していき、日本人が進出しましたが各国に「日本人町」を作っていき、いわゆる朱印船貿易の時代が始まりました。
例えばフィリピンのルソンには、3000人もの日本人が住む日本人町が作られ、タイのアユタヤでは山田長政で有名な日本人町が建設され、1500人以上の日本人が住んでいました。
なぜ日本人が東南アジアに進出したのか?といえば、実は欧米諸国と同じ理由で、交易することが目的で、各地に日本人町を作ったのです。特にすごいのは山田長政という人物で、アユタヤ王国の王女と結婚し、現地の人々のために命を懸けて戦うという歴史があります。欧米諸国ではアジアの人々を下の階級をみなしている以上、そうはいきません。
欧米諸国がアジアを植民地にしていた時代に、日本人が東南アジアやインドの権益を持ち続けた場合、おそらく全く異なる価値観で交易が続いた可能性があるでしょう。
これは善悪の問題ではなく、日本人が動物性たんぱく質を家畜ではなく、海産物から摂取し続け、「他者を管理する=奴隷にする」という発想を持たない文明を構築したという単なる事実に基づくものです。
というわけで今日は「日本人で奴隷制度が根付かなかった理由とアユタヤ王国の王女と結婚した山田長政」と題して論説しました。
歴史に”もし”は禁物だと思いますが、敢えていえば、東南アジアやインドで日本人が日本人町を作って現地と友達になるというのが広がれば、アジア諸国の植民地化はなかったかもしれません。
アフリカ大陸は、さすがに遠くて欧米の植民地化を回避するのは不可能だったでしょうが、アジア諸国が植民地化にならなかったら、きっと世界の歴史は大きく変わっていたかもしれず、第二次世界大戦すらなかったかもしれません。そのかわりアジア諸国の権益をめぐって、日本はベンガル湾辺りで欧米諸国と激突していたかもしれませんが・・・。
いずれにしても、海産物からたんぱく質を摂取する食文化の歴史を積み上げてきたので、日本人が奴隷制度を経験しなかったということについて、私たち日本人は認知するべきであると思います。
〜関連記事〜
- 2019.08.29 Thursday
- その他
- 08:05
- comments(0)
- -
- by 杉っ子