泉岳寺に眠る赤穂浪士47人と水で吉良家と争った徳川家100年の屈辱

0

    JUGEMテーマ:歴史

    JUGEMテーマ:公共事業の経済効果

     

     山手線の新駅「高輪ゲートウェイ」の近くに都営地下鉄浅草線の泉岳寺という駅がありますが、皆さんは泉岳寺というお寺をご存知でしょうか?

     このお寺には赤穂浪士記念館という建物があり、赤穂事件で切腹した赤穂浪士47人のお墓があります。

     今日はその赤穂浪士47人について述べ、江戸時代から朝廷と親しかった吉良家がどうやって滅ぼされたのか?なぜ泉岳寺が建てられたのか?について述べたく「泉岳寺に眠る赤穂浪士47人と水で吉良家と争った徳川家100年の屈辱」と題して、下記の順で論説します。

     

    1.赤穂事件とはどんな事件だったのか?

    2.水の争いが昔から続いてきた理由

    3.赤穂浪士47人の不穏な動きは徳川家にとって千載一遇のチャンス

     

     

     

    1.赤穂事件とはどんな事件だったのか?

     

     赤穂事件というのは、元禄15年、1703年1月30日に発生した事件で、大石内藏助が浪人ら47人を率いて、京都を1703年に出発して江戸に向かい、吉良上野介を討ち入ったというものです。

     

     その赤穂事件が起きたきっかけは、1701年に江戸市中に殿中、松の廊下で浅野内匠頭が、吉良上野介に切りつけて負傷させたという事件にまで遡ります。

     

      吉良当時「高家」という最高権威にあり、江戸幕府に特別に取り入れられ、大名の中でも珍しく吉良家の屋敷は江戸城の敷地内(今の東京駅の辺り)にありました。

     

     その高家の吉良上野介に対して切りつけて負傷させたということで、浅野家はお家を取り潰し、浅野内匠頭は切腹という裁定が下されたのです。

     

     その事件の後、浅野家の家臣ら、大石内藏助が京都の円山会議で吉良家の討ち入りを宣言し、江戸で吉良家を討つことを決心するのです。

     

     筆頭の大石内藏助をはじめ、吉良家の仇討ちに燃える赤穂浪士らの士気が高まる一方で、大石内藏助は焦っていたと言われています。理由は赤穂浪士らの士気を維持できるか?47人という人数で吉良上野介を討つためには、士気を失わせたくないというのがその理由です。

     

     吉良邸は警備が厳重であり、討ち入りは容易ではありません。

     

     地形の位置でみますと、現在の東京駅の北口付近に北町奉行所があり、有楽町駅付近には南町奉行所がありました。

     

     特に北町奉行所は、司法、行政、裁判所、検察、警察、刑務所、消防をつかさどる強力な武装機構でもありました。

     

     さらに吉良邸があった呉服橋門から八丁堀にかけては、町奉行の与力、同心の住居屋敷が展開し、幕末には約7,000人余りいたと言われ、治安警備関係者の根城でもありました。

     

     この状況下において、赤穂浪士がどれだけ事前準備を万全にしたといえども、江戸城郭内の吉良邸に押し入って討つなど、不可能に近かったといえるでしょう。

     

     そんな状況下において、吉良邸が墨田川を超えた倉庫街に移転したという江戸からビッグニュースが京都に舞い込みました。

     

     倉庫街というのは、平成も令和も昭和もそうですが、薄暗くて人目が少ないです。

     

     そのため、赤穂浪士にとっては絶好のタイミングが訪れたといえるでしょう。

     

     こうして赤穂浪士47人は、9月〜10月にかけて三々五々、江戸に潜入し、ついに1703/12/14未明、赤穂浪士47人は吉良邸に討ち入り、吉良上野介の首を取り、仇討ちが果たされました。

     

     しかしながらこの仇討ちについて、皆さんはどのように思われるでしょうか?

     

     高家と呼ばれた吉良家が警備が厳重だった江戸城郭内から、倉庫街に移転して、みすみす赤穂浪士に殺されてしまうというシナリオ自体、うまく行きすぎた話と思いませんでしょうか?

     

     この赤穂事件は、忠臣蔵という歌舞伎の演目の一つで赤穂事件を参考にした創作作品にもなっていますが、赤穂事件そのものは実際にあった史実です。

     

     

     

    2.水の争いが昔から続いてきた理由

     

     私は現代において公共事業、特に治水事業についての重要性を説き、マスメディアや一般人のダム無駄論やダム廃止論に対して厳しく批判をしていますが、理由は水というのは資源だからです。

     

     川の水をコントロールできてこそ、栄えて発展できるのですが、日本の場合は、日本列島が脊梁山脈が背骨のように渡っているため、雲が山脈にぶつかって梅雨前線、秋雨前線が発生して停滞するため、雨がたくさん降り、しかもその雨が日本列島を滝のごとく流れていきます。

     

    <テムズバリアとテムズ川>

    DSCN1177.JPG

    (出典:2019/05/01杉っ子が英国のロンドン市内で撮影)

     

    <セーヌ川とエッフェル塔>

    DSCN0767.JPG

    (出典:2019/04/30に杉っ子がフランスのパリ市内で撮影)

     

     ロンドン市内を流れるテムズ川、パリのセーヌ川は、非常に流れがゆったりしていますが、英国やフランスは平地だからです。テムズ川は高潮の被害が発生しやすいので防潮堤が必要ですが、日本も高潮被害は発生しえます。

     

     安政3年の1856年に江戸の大風水では高潮被害で、「近世史略」によれば死者は10万人と言われている一方で、「安政風聞集」では安政2年の1855年の江戸大地震の10分の1です。江戸地震の死者が4000人〜1万人という数字があるため、もし10分の1とするならば、400人〜1000人となります。

     

     ロンドンのテムズバリアは、1953年の北海大洪水によってテムズ川に大洪水が発生して英国では300人以上の人が亡くなっていますが、その死者数と比べれば、江戸の大風水の死者数が400人だったとしても、大惨事だったと言えるでしょう。

     

     自然災害を守ると言えば聞こえはいいですが、日本は脊梁山脈が背骨のように横たわっているために地政学的に自然災害で人が殺されるリスクが高いといえるのです。

     

     そういう意味では水によって殺されるリスクはあっても、しっかりと治水事業をやっていれば、逆に繁栄につながります。

     

     だからこそ世界中の人々は川の水を巡って争いを続けてきたといえるでしょう。

     

     日本の川で考えれば、誰かが川から取水すれば、他のモノの水量は確実に減ります。

     

     メコン川で考えれば、中国が上流で堰き止めれば、ラオス、カンボジア、ベトナムの人らは水量が確実に減ります。

     

     ある地域が洪水に見舞われれば、その他の地域は洪水から免れます。

     

     これは極めて単純な原則です。

     

     単純な原則だからこそ、世界中の川でこの原則は貫かれてきました。

     

     その川筋では、必ず優劣関係が形成されます。

     

     最も一般的で根強い優劣は、その川の先に住み着いたものの優先権です。

     

     先に住み着けば優先権が得られる一方で、後から入り込んできた者は劣位します。

     

     優位者は川の水を優先的に使い、洪水を受けないように対策が打てる一方、劣位者は取水するにも治水工事をするにも、優位者の了解を得なければなりません。その結果、優位者は、さらに豊かになり、劣位者との格差は広がっていきます。

     

     この優劣関係は何十年も何百年も覆ることはありません。

     

     実は、吉良家と徳川家は、長野県、岐阜県、愛知県を流れる矢作川を巡り、この優劣関係があったのです。

     

     現在の愛知県の豊田、岡崎、西尾付近を流れる流域において、吉良家は川の上流に吉良領地を構え、徳川家は川の下流に徳川領地を構えます。

     

     何百年もの長い間、吉良家は矢作川では優位者であり、徳川家は劣位者の辛酸を舐め続けてきたため、劣位者として虐げられた徳川家にとっては吉良家を潰したいという十分な動機があったといえるでしょう。

     

     

     

    3.赤穂浪士47人の不穏な動きは徳川家にとって千載一遇のチャンス

     

     江戸で1701年に浅野内匠頭が、高家の吉良上野介を切りつける事件が江戸から京都に伝わり、その後、浅野家の家臣ら大石内藏助を筆頭に不穏な動きがあるというニュースが江戸にもたらされます。

     

     これは吉良家を潰したいという徳川家には千載一遇のチャンスだったといえるでしょう。

     

     そこで徳川家は、吉良家の倉庫街へ本所を移転することを仕組みます。

     

     徳川家は何しろ「筆頭の高家」とされている吉良邸移転を可能にするほどの権力者です。

     

     優位者である吉良家が川を利用して自分たちの農地だけをどんどん開拓して豊かになっていく中、徳川家は何百年もの間、じっと指をくわえて見つめるしかありませんでした。

     

     ところが矢作川で劣位者だった徳川家康が、関ヶ原の戦いに勝ち、天下を取ってしまったことは、皆さんもご承知のことです。

     

     では、天下を取ったならば、すぐに吉良家を亡ぼしてしまえばいいのでは?と思われる方も居られることでしょう。実は、徳川家康が武力で天下を取ったとしても、朝廷の意がなければ、征夷大将軍に任命されることはありません。天下を取った徳川家康にとって、朝廷の意をどうやって引き出していくのか?は最重要事項であり、その朝廷に何百年も仕えていた武家一族が吉良家でした。

     

     そして吉良家が朝廷と徳川家を仲介して、徳川家康の望みだった征夷大将軍の任命を実現することになりました。

     

     そのため、他の大名にとっては単なる名家であっても、徳川家にとっては単なる名家ではなく、徳川家存続のために吉良家を必要とせざるを得ない状況でした。

     

     江戸城内で吉良家は朝廷の権利に寄り添う優位者であり、圧倒的な権威者だった徳川家にとっては、江戸においても吉良家に屈折した感情をいただくこととなったのです。

     

     そんなとき、赤穂浪士の不穏な動きに関するニュースが徳川幕府にもたらされるとなれば、これは千載一遇のチャンスです。

     

      ことわざに「江戸の敵を長崎で討つ」ということわざがありますが、敢えていえば「愛知県矢作川の敵を江戸で討つ」といえます。

     

     これを最大限に活用して吉良家を抹殺する。1701年の浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた事件では、どっちが悪かろうと関係なく、愛知県の矢作川で指をくわえて見ているだけだった積年の屈辱を晴らす大チャンスです。

     

     徳川家より上に立つ武家の存在を二度と登場させないとなれば、吉良を討つために赤穂浪士を支援する、これは当然の帰結だったのかもしれません。

     

     それこそが吉良家の江戸城郭内から倉庫街への移転でした。

     

     徳川家は、白昼堂々と吉良家を潰す口実として移転を命じ、吉良家は命じられた通り倉庫街に移転しました。

     

     こうして筆頭の高家とされて徳川家の上に君臨していた吉良家を倉庫街に移転することができたのです。

     

     赤穂浪士47人は、吉良家討ち入りを果たした後、江戸幕府によって切腹を命じられますが、遺体は東京都品川区高輪の泉岳寺に葬られます。現在でも赤穂浪士の墓が祀られています。

     

     その泉岳寺こそ、徳川家が創立した江戸で唯一のお寺です。

     

     47人の討ち入りによって幕府は維新を失い、天下の平穏を乱しました。

     

     そのため、赤穂浪士47人は全員切腹を命じられ、その日のうちに埋葬されます。

     

     当時の47人は間違いなく重大な犯罪者だったといえるでしょう。

     

     そして現在の世間の通説でもそのように解釈されています。

     

     しかしその犯罪者が埋葬された寺こそ、徳川家が創立した寺で、これは徳川幕府が積極的な同意があった何よりの証拠といえるでしょう。

     

     

     

     というわけで今日は「泉岳寺に眠る赤穂浪士47人と水で吉良家と争った徳川家100年の屈辱」と題して論説しました。

     私たちは例外なく、住む場所、住む地域、その周りの地理的な環境に影響を受けています。

     日本が侵略を受けなかった理由の一つに、自然災害が多い地形だったことがあげられるのでは?と私は思います。何しろ、欧州人からすればセーヌ川は、確かに川ですが、日本の川は滝のようであるという証言があります。

     脊梁山脈が狭い列島に横たわるという外国人が歯が立たないほど手ごわい地形こそ、私たち日本人の先人がその手強い地形を治水事業などで攻略して、世界各国を差し置いて発展できた要因なのではないでしょうか?

     これは日本が今後、諸外国とどう立ち向かうべきか?日本の発展のために何をすべきなのか?インフラの重要性というその答えを導くことにつながるものであると私は思うのです。


    コメント
    コメントする








       

    calendar

    S M T W T F S
        123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728293031
    << October 2020 >>

    スポンサーリンク

    ブログ村

    ブログランキング・にほんブログ村へ
    にほんブログ村

    recent comment

    • ”平時のムダ=非常時の安全”を理解せず、ひたすら無駄削減に邁進する大阪維新の会こそ無駄な政治政党です!
      Ode (10/21)
    • 大阪都構想とは大阪市役所を廃止するのではなく大阪市という政令市を廃止することです!
      Ode (09/19)
    • 政治主導よりも官僚主導・族議員の昭和時代に戻ることが日本を強くする
      Ode (09/15)
    • 京都大学の上久保靖彦教授による新型コロナウイルスの日本人集団免疫獲得説について
      Ode (08/25)
    • 最高益となった41社が巣ごもり需要を取り込んだとするどうでもいい報道と粗利益補償の必要性
      Ode (08/21)
    • よくぞ言った!経団連の山内副会長”熊本豪雨災害は一種の人災”発言の真意について!
      Ode (08/04)
    • 日本国民の人命よりも”オリンピック開催”と”財政再建”を優先する安倍政権
      棚木随心 (03/16)
    • 地獄と化した武漢の真実が日本に伝わらない理由(日中記者交換協定について)
      アホでもわかるから書く必要はない (02/04)
    • レバノンのベイルートとビブロス遺跡
      棚木随心 (01/22)
    • 四国新幹線の署名活動について
      ・・・ (12/14)

    profile

    search this site.

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM