歴史改ざんのアイヌ新法で日本を分断させることを許してはいけない
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菅政権が発足しましたが、菅総理大臣は、総理に就任する前の官房長官の時代に、アイヌ新法(アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律=”アイヌ新法”)という法律の制定に尽力された人であることをご存知でしょうか?
今日は、2019/04/19に法律が成立し、2019/05/24から施行されたアイヌ新法の問題点について述べたく、「歴史改ざんのアイヌ新法で日本を分断させることを許してはいけない」と題して論説します。
アイヌ新法については、いろんな方が論じられておりますが、まず日本民族について触れておかなければならないと考えておりまして、下記の順で論説します。
1.アイヌ人が先住民族であるというのは虚偽である
2.オホーツク人との混血同化
3.放射性炭素年代測定法が暴いた二重構造説の否定
4.東大名誉教授江上波夫氏の功罪と日本人の起源
1.アイヌ人が先住民族であるというのは虚偽である
まず第一に、アイヌ人が先住民族であるというのは虚偽です。これは学説としても虚偽であることが既に証明済みです。
もしこうした虚偽説がまかり通るならば、アイヌ人に自治権を与えて、アイヌ自治区などとなるでしょう。
そこに中国共産党が接近すれば、新疆ウイグル自治区ならぬ、新疆アイヌ自治区などとなって、北海道を日本への侵略を開始する足掛かりを作ってしまうことになりかねません。
さらに沖縄でも、沖縄人という先住民族がいたという枠組みをでっち上げられ、その枠組みを使って工作活動をするということが起こる可能性ですら否定できません。
第二次大戦直後、ポツダム宣言受諾と同時にソ連が北海道を侵攻する計画をしていましたが、今まさに中国が、北海道を侵食して土地を購入し、農産物を買い、水源となる山を買ったりしています。
こうした流れの中で、アイヌ新法を考えていかなければならないものと私は思っています。何が言いたいか?といえば、単なる歴史問題で終わらず、政治問題と直結するということです。
そこで話を戻しますと、アイヌ人が先住民族であるか否か?という問いに対して、先住民族であるという証拠はありません。
というのもアイヌ人が縄文人よりも先に北海道に住んでいたことを示す人骨や遺跡が一切見つかっていないのです。
アイヌ人と呼ばれる民族は、文字文化が無かったため、自ら記した歴史記録がなく、文献で出てくるのは13世紀からです。13世紀といえば、今から800年前にも遡りますが、800年前の13世紀にアイヌ人が北海道に住み着いたというのも正しくありません。
アイヌ人が13世紀突如やってきたのか?それ以前から住み着いたのか?ということも含めて不明な点が多く、単に13世紀にアイヌ人のことが記されているということが理由で、13世紀以前から存在したという可能性があるだけです。
そもそも北海道といえば、明治時代以降、入植して開拓する場所でしたが、そこに人が住んでいたのはいつ頃からなのか?といえば、2万年以上前から住んでいると言われています。
2万年以上前に住み始めたのがいわゆる日本本土にみられる日本の古代人の縄文人であって、決してアイヌ人ではありません。
一方で、日本の縄文人が2万年前から北海道に住み始めたことには証拠があります。
最終氷期の約2万年前の最盛期を過ぎてから地球は全体的に温暖化し、13000年前〜1万年前の気候は寒冷期と温暖期が入れ替わるほどの激しさで、短期間に環境変化が起き、針葉樹林だけが覆っていた日本列島に広葉樹林が増加していったといわれて、旧石器時代の14000年前まで、日本列島に住む人々は、大型哺乳動物(ヘラジカ、ナウマンゾウ、オオツノシカなど)や中小型哺乳動物(ニホンジカ、イノシシ、アナグマ、ノウサギなど)を狩猟対象としてキャンプ生活を営みながら広範囲に移動していました。
縄文時代の草創期になって初めて特定の場所で生活する定住生活が出現し、14000年前から紀元前10世紀の間に住んでいたとされる竪穴住居の遺跡が多く見つかっています。
例えば東京都の府中市には武蔵台というのがあり、後期旧石器時代の石器が約27,000点出土され、旧石器時代の人々が20,000年前まで断続的に石器を使っていたことを証明しています。
北海道東部でもオホーツク海沿岸にある大規模な竪穴住居群がある北見市の常呂遺跡、標津町の標津遺跡は、日本最大規模の竪穴住居跡があり、学術的にも重要ということで、広大な区域が国の史跡として指定されてます。
一方で2万年前にアイヌ人がいたという証拠はありません。
もしアイヌ人が2万年前からいたとするならば、アイヌ人の遺骨、遺跡、文明の跡があるはずですが、それらは一切存在しません。
となると、アイヌ人が先住民族であるとするアイヌ新法は、法律そのものがおかしく、これは歴史の改ざんであると言えるのです。
2.オホーツク人との混血同化
確かにラッコ、トナカイ、ししゃも、これらはアイヌ語で、”アイヌ”とはアイヌ語で人間という意味で、独自の文化を持っていました。
とはいえ、アイヌ人が先住民族であるとは到底言えません。
アイヌ新法がヤバいのは、アイヌ人を先住民族であることを明示したことです。
もちろんアイヌ文化の存在自体を否定するものではなく、先住民族であるというのは歴史の改ざんであるということ、これが一番重要なポイントです。
アイヌ民族がどのような民族だったのか?遺伝子的に分析したものがあります。
北海道には、約2万年前の遺跡で白滝遺跡(北海道紋別郡遠軽町字上白滝)というのがあり、旧石器人の遺跡があります。3世紀〜13世紀にかけてオホーツク文化という潰瘍漁猟民族の文化があり、オホーツク人と呼ばれています。
オホーツク人はアイヌ人と遺伝子上近い関係があるといわれ、文化的には、旧石器→縄文→続縄文→擦文→オホーツクと脈々と流れていくのです。
アイヌ文化の前のオホーツク文化を発展させたオホーツク人は、樺太北部のアムール川の下流域を厳重としていた漁猟民族で、ニブフ人という少数民族を直接の共通祖先としています。
またオホーツク人は、アジア民族ですが、隣接したツングース系民族やモンゴル系民族とは別系統の民族であることも判明しています。
こうしたことを踏まえますと、アイヌ人はどのように北海道にやってきて住み着いたのか?言語や文化においてオホーツク人、オホーツク文化とも異なり、日本人の縄文人とも異なる独自民族であるといえるでしょう。
考えられることとして、最初にオホーツク人と混血して同化し、その段階で純粋なアイヌ人の血統がなくなり、そのアイヌ人が北海道にやってきて、それがいつなのか?は定かではないものの、先住民族の日本人と混血同化して行ったものと思われます。
したがってもはや「この人がアイヌ人ですよ!」と言えるような人は存在せず、アイヌ新法で保護すべきアイヌ人というのは存在しませんし、今いるアイヌ人とされる人は、日本人と何ら変わりません。
にもかかわらず、人工的に政治都合でアイヌ人という枠組みが作られてしまうと、そういう人ら約2万人が分離独立運動や自治権の獲得、アイヌ特区、政治闘争などを仕掛けられる可能性があり、それが中国共産党と結びつくようなことがあれば、日本は分断されていくことになるでしょう。
3.放射性炭素年代測定法が暴いた二重構造説の否定
二重構造説という言葉を聞いたことがある人は少ないかもしれません。
これは縄文人と弥生人の2つに分け、縄文人は顔が濃くて丸顔で唇が厚く鼻が低いとされ、弥生人は面長の顔で薄くて目が細く手唇が薄いとし、教育の場でも二つの顔を並べて、どっちの顔か?などと教えられています。
しかしながらこれはとんでもない印象操作です。
なぜならば現在、二重構造説というのは否定されています。
二重構造説というのは、もともと北方系の人が朝鮮半島から日本へ大量にやってきて、原日本人と混血し、渡来系の弥生人が生まれたというもので、1990年代に定説とされてきました。
現在は二重構造説は破綻した説として紹介されています。そのため、今や縄文人と弥生人という区別すること自体が間違いということになります。
二重構造説の虚偽というのは、北方系の渡来人が先住の日本人を急激にかつ大規模に変化させ、弥生文化に移行させたと語られることです。
この急激な変化とは、縄文人には野蛮な文化しかなく、朝鮮半島から来た渡来人が高度な稲作などの文明をもたらし、急激に日本人を変化させたというものです。
この説は、放射性炭素年代測定法によって、佐賀県の菜畑遺跡がそれを証明しています。
菜畑遺跡は稲作の遺跡ですが、プラントオパール法によって、放射性炭素年代測定法で調べたところ、菜畑遺跡は紀元前6000年前のものと推定され、かつ高度な稲作、具体的にいえば灌漑施設を使った稲作は紀元前3000年前から行われていたということが証明されました。
弥生時代とは紀元前300年ほど前の話であり、縄文時代から日本では高度な稲作が行われていて、渡来人が稲作を教えたなどとする説は、完全に間違いであり、学術的にも科学的にも立証されていないウソです。
日本が低文明で朝鮮人が文明を発展させたとの主張を裏付けようとしたのが二重構造説であるといえるでしょう。
4.東大名誉教授江上波夫氏の功罪と日本人の起源
東大名誉教授の江上波夫氏が、1960年代に騎馬民族征服王朝説なるものを流布しました。
遠く中国の騎馬民族が南朝鮮を支配し、彼らが日本にやってきて天皇家を作り、大和朝廷を作ったもので、日本の天皇家の起源は騎馬民族を発祥にするという説を主張していました。
かつて政治家で小沢一郎氏が、韓国で江上波夫氏の騎馬民族説を説明し、日本の祖先は朝鮮人だったと述べていましたが、これはとんでもない話で、この歴史観が日本をどれだけ貶め、国益を損ねるのか?科学的にも学術的にも根拠がなくウソであることが判明した騎馬民族説がもたらした罪は大きいです。
以前にも紹介した図を掲載させていただきます。
<免疫グロブリンG(Gm)の標識遺伝子の分布>
(出典:丸地三郎氏の「DNAから導きだされる日本人の起源」の資料から抜粋)
以前にも上記資料について下記の解説をしています。
●中国大陸の南方の人々は、標識遺伝子で「afb1b3(円グラフの赤い部分)」が多い
●北方の人々は「axg(円グラフの黄緑色部分)」が多く「ab3st(円ブラフの黄色い部分」が少ない
●日本列島の人々は、北海道から沖縄県与那国島にかけて「ab3st(円ブラフの黄色い部分」が多い
上述の通りDNAからみても、アイヌ人と日本人を区別するのはできないといえます。
二重構造説が成立しないとなれば、原日本人、縄文人というのはどういう民族だったのか?
それは縄文人の遺伝子解析から分かったこととして、日本列島の北方から南方まで、どこか特定の民族というのではなく、ユーラシア大陸の北方〜南方に加えて、沖縄、マレーシア、フィリピンなどの南方系の人ら、既に様々なアジアのモンゴロイド系民族の混血で、独自の民族として日本人が作られ、協調型、共和型で様々な民族の友和社会が日本古来には存在していたというのが、遺伝子からも分かります。
いろんな存在を認めて共存し合うというのは、民族的なところからも証明されており、いろんな文化・文明を吸収して日本独自の文化を作っていくという吸収していく様子は、民族の遺伝子からも見て取れるともいえます。
混合民族として独自の民族ができたというのが日本人であるといえるでしょう。
縄文人と弥生人は区別できず、琉球人と縄文人、弥生人とも区別できず、現在はアイヌ人というのも存在せず、日本列島に住む人々は一つの共通した民族であって、決して分断されるものではありません。
こうしたことを踏まえますと日本人の起源とは次のようにまとめられます。
縄文時代からいろんな系統の民族が漸次的に日本にやってきて、漸次的に多民族間の混血が進み、それは特定の地域の特定の民族が劇的に日本人を変えたというものではなく、文明的にも縄文時代末期に稲作文化が漸次普及していき、徐々に少しずつ弥生時代に移行していったという長期にわたる穏やかで静かな変化が、縄文時代から弥生時代にかけておき、日本人が形成されたということです。
結果、アイヌ人は後から入ってきた侵入者に過ぎず、二重構造説が学会で学説とされたために、あたかもアイヌ人が先住民族であるかのような印象操作が現在の教育の現場でも行われ、日本国民に誤解を生んでいるともいえます。
そこに特定の政治家らが、金が儲けられれば・・・とウソのプロパガンダを振りかざして日本を破壊しているのが実態であり、菅総理もまたアイヌ新法を積極的に推進したその一人であるということになるのです。
というわけで今日は「歴史改ざんのアイヌ新法で日本を分断させることを許してはいけない」と題して論説しました。
この2019年のアイヌ新法で、アイヌ人が先住民族であると明示したというのは根拠のない話であり、日本人のアイデンティティを破壊する可能性がある極めて危険な法律です。政治家の歴史的教養の無知に付け込まれた政治工作の一環ともいえます。
リーダーたるもの然り、私たち現代の世代が、歴史認識を正しく持たなければ、このような間違いを犯し、将来世代にとんでもないツケ、禍根を私たち現代世代が残していくことになるでしょう。
こうした歴史問題のみならず、マクロ・ミクロ経済、国民経済、各種安全保障を多面的に捉え、日本の国益を真に理解する勢力を支えるためのシンクタンクが、日本には必要であることを私は改めて提言したいと思います。
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- 2020.09.25 Friday
- 日本経済(防衛安全保障)
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- by 杉っ子