可住地面積当たりの道路が長いと公共事業を貶める言説について

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     今日は「可住地面積当たりの道路が長いと公共事業を貶める言説について」と題して論説します。

     

     日本ではかつて、民主党政権が誕生する際、子ども手当などの現金給付の財源などとして、「コンクリートから人へ」というフレーズで公共事業を貶めました。

     

     公共事業よりも社会保障を充実させるという言説は、田中角栄が総理大臣だった頃からあったとされ、田中角栄は「経済成長しなければ社会保障もできない」と述べて反論しました。

     

     その頃から日本の公共投資、とりわけ日本の国土を整備することについて、嫌でたまらない連中が存在したのです。

     

     その代表的な人物で、五十嵐敬喜氏という弁護士で法政大学名誉教授がいます。

     

     五十嵐敬喜氏は、岩波新書から公共投資反対の「道路をどうするか?」という本を出して大ブレークし、菅直人政権の参与に入りました。

     

     著書「道路をどうするか?」では、次のようなグラフが紹介され、日本は道路が多すぎると主張しています。

     

    <可住地面積当たりの高速道路と全道路の国別比較>

    (出典:五十嵐敬喜法政大学教授「道路をどうするか?(岩波新書)」から引用)

     

     

     五十嵐敬喜氏が持ち出している”可住地面積”というキーワードについて、聞き慣れない人が多いかと思います。

     

     可住地面積とは、人が住むことが可能な面積のことをいいますが、日本は可住地面積が異常に少ない国土条件となっています。なぜならば脊梁山脈が背骨のように日本列島に横たわり、国土面積に比べて可住地は3割もないのです。

     

     その一方で、フランス、ドイツ、英国などは、国土面積のほとんどが可住地です。

     

     五十嵐敬喜氏は、その”可住地面積”という指標を用いて、道路の距離を計算すると日本は道路が異常に長く、日本は公共事業をやりすぎたからだとし、欧米に比べて道路が長いと主張しているのです。(上記棒グラフを参照)

     

     その一方で、安倍政権のかつて参与だった一人、京都大学の藤井聡教授は、”「道路」についての国際比較”の中で、次のような資料を紹介しています。

     

    <利用者数当たりの道路延長の国別比較>

    (出典:「道路」についての国際比較)

     

     上記の通り、日本は道路が少なく、可住地面積当たりの道路延長を国別で比較することに何の意味があるのか?と私は思います。

     

     日本の道路行政を貶め、海外と比べてという相対的基準あるいは絶対的基準で、道路が長すぎて公共事業をやりすぎているという言説は、明らかに事実と異なるものであって、裏付けとして紹介されている五十嵐敬喜氏の棒グラフは、道路行政を貶めて公共事業を削減することが目的としか言いようがありません。

     

     日本の道路政策は本当に異様なのか?といえば、藤井聡先生の”「道路」についての国際比較”の通りであり、保有台数1万台当たりの道路の長さは、先進国と比較してそれほど異様とは思えません。

     

     先述の通り、日本の国土は大半が山であり、可住地面積は異常に少ない国土条件です。

     

     そもそもなぜ可住地の道路を比較する必要があるのでしょうか?道路というものは、可住地と可住地を結ぶためにあるものです。

     

     百歩譲って”可住地面積”を使って比較するとするならば、公園の広さは、意味があるかもしれません。

     

     例えば可住地面積当たりの公園の広さとなれば、可住地の人が公園を使うと考えた場合、公園の広さが広すぎると、そんなに公園を広くして誰が使うの?と、可住地面積の海外との比較は論理的に成立し得ます。

     

     それと同じように五十嵐敬喜氏が考えて道路について、可住地面積の比較を考えたとしたら、そもそも道路というものが可住地と可住地を結ぶためにあるということを理解していないと言わざるを得ません。

     

     日本の高速道路でいえば、保有台数一台当たりでは主要先進国のみならず、韓国と比べても短いですし、3車線3車線の6車線道路は、韓国に負けているほど日本の道路は低いレベルです。

     

     その高速道路や6車線道路を長く見せるためには、可住地面積の比較を持ち出すしかなく、五十嵐敬喜氏の言論は、道路行政を貶めることが目標であり、目的はとにかく公共事業がイヤだという考えを持っていたので公共事業を削減したかったのだと考えられます。

     

     そのためにミスリードさせるグラフ資料をまき散らし、日本国民に高速道路を作りすぎ、公共事業をやりすぎるという洗脳をしたのが五十嵐敬喜氏ら、公共事業が嫌いな連中だったといえます。

     

     その結果、日本ではお茶の間で一般の人が、公共事業をやりすぎ、大切な税金が無駄な道路に使われている、こうした言説が普通に蔓延することになったのでしょう。

     

     そこに乗ったのが財務省や緊縮財政派の人間で、財務省は公共事業が大嫌いで、その理由は長期間にわたって支出が続くものだからです。自分のお財布から、あるいは自分の給料から、家賃のごとく長期にわたってお金が減っていくというのがイヤだという愚かな考え。およそ経世済民を理解せず、国家の財政運営を家計簿になぞらえ、ミクロ経済学の予算制約に当てはめている点が、愚かとしか言いようがありません。

     

     とはいえ、緊縮財政というものは大蔵省ができたとき、松方正義大蔵大臣のときからある発想でもあります。

     

     その緊縮財政思考が無駄な公共事業論と合致し、道路は無駄、ダムは無駄などと民主党政権の「コンクリートから人へ」「事業仕分け」につながったのでしょう。

     

     

     というわけで今日は「可住地面積当たりの道路が長いと公共事業を貶める言説について」と題して論説しました。

     安倍政権は2013年度こそ、国土強靭化を掲げて前年比で財政出動したものの、2014年以降消費増税8%を敢行した上に緊縮財政に転換し、民主党以上に公共事業を減らしました。

     かつて米国では1933年にルーズベルト政権が誕生し、世界大恐慌から立ち直れずにいる米国経済をニューディール政策(財政出動)によって立ち直らせ、その後1936年に緊縮財政に転じてルーズベルト不況に陥った歴史があります。

     安倍政権のアベノミクスは、2013年度しかまともなことをやらなかったわけで、ルーズベルト政権よりもはるかにアホな経済運営をしていたということが近現代の歴史を見ても理解できます。

     次の総裁は、安倍政権の誤りに気付き、公共事業こそが日本を豊かにして富国強国を成し遂げられるということを理解している人が、新たな総裁になっていただきたいと私は切に思うのです。


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