正式な国家として認められていないパレスチナは、なぜ土地がバラバラなのか?

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     今日は「正式な国家として認められていないパレスチナは、なぜ土地がバラバラなのか?」と題して論説します。

     

     パレスチナとは、そもそもどこにあるでしょうか?ということで、下記の地図を参照ください。

     

    <ガザ地区とヨルダン川西岸地区(オレンジ色の部分)>

     

     上記地図のオレンジ色の部分がパレスチナになります。私は隣国のレバノンとヨルダンを訪れたことがあります。このときの旅行記も過去に記事を書いておりますので、ご興味がある方は、下記を参照ください。

     

    レバノンのベイルートとビブロス遺跡

    ヨルダン訪問記(カタールのドーハ訪問のオマケ付き)

     

     イスラエル、パレスチナと聞くと、多くの人は中東というイメージはあっても、どのような問題を抱えているのか?なぜ、土地がバラバラなのか?ご存知ない方が多いかと思います。

     

     そこで、まず歴史について述べたく思います。

     

     まずパレスチナについてですが、イスラエル領の中で、パレスチナ人が住んでいる一部の土地があり、それがイスラエル領内で土地がバラバラになり、繋がっていないのですが、一つの国になっています。

     

     上記地図のオレンジ色の部分の通り、2つの地域があります。オレンジ色の2つの場所のうち、右側のヨルダン西岸地区の北に接している場所でエルサレムがあり、東側部分の東エルサレムもパレスチナです。

     

     歴史を遡りますと、このエリアは1299年〜1922年までオスマン帝国がこの地域を支配していて、中東エリア全体がオスマン帝国の支配下であり、そこにパレスチナ人だけでなく、ユダヤ人も住んでいましたが、人口的には圧倒的にパレスチナ人が多く住んでいました。

     

     18世紀まで欧州キリスト教社会ではユダヤ人は迫害されていたのですが、そのユダヤ人に大変革となったのが、18世紀末ナポレオンによる国民国家構想により、身分や血統、宗教に関係なく、国民として平等な権利を持つようになり、1791年にはフランスでユダヤ人は市民権が認められます。

     

     19世紀半ば〜後半にかけて、ユダヤ人国家を作る運動=シオニズム運動が起こります。この運動を後押ししたのが、ユダヤ人の富豪らロスチャイルド家などです。

     

     その後、オスマン帝国は第一次世界大戦で敗戦国となり、オスマン帝国が崩壊して、国際連盟が英国に統治を委託することとなり、このエリアが英国の委任統治領となってユダヤ人の入植がすすみました。

     

     その英国の委任統治時代の1937年、パレスチナ人は英国とユダヤ人を攻撃しました。

     

     英国はピール委員会という組織を設立し、パレスチナ人がなぜ英国やユダヤ人を攻撃したのか?何が原因でパレスチナ人はユダヤ人を攻撃するのか?調査をしたところ、将来的にユダヤ人もパレスチナ人も共にこの土地を支配したいと考えていることがわかりました。

     

     仮に英国の統治が終わった場合、ユダヤ人とパレスチナ人のどちらがこの土地を支配して国家を作るのか?その将来の不安があり、パレスチナ人が反乱を起こす動機がわかったため、ピール委員会は1937年、同じ土地に2つの国家を作るという解決方法を提示します。

     

     具体的には、1つの土地を分割して2つの国家にしようとしました。面積的にはパレスチナが80%、残りがイスラエルという案でしたが、イスラエルはこの地にユダヤ人が住むことができる国家が作れるのであればOKとして認めたものの、パレスチナは100%でなければ納得できないとしてこれを拒否し、攻撃を再開します。

     

     そして第二次世界大戦後、1947年に国連が問題解決に乗り出すこととなり、分割案(パレスチナ43%で残りがイスラエル)を双方に提示します。

     

    <1946年の英国委任統治時代のパレスチナの支配エリアと1947年の国連分割決議案>

     

     一方で1948年5月17日にはイスラエルが建国。両国は戦争状態になります。これが第1次中東戦争で、パレスチナ紛争とも呼ばれています。このときパレスチナは、イスラエルを崩壊させようとして他のアラブ諸国を巻き込んで戦いましたが敗れます。

     

     その後も、1956年にスエズ動乱と呼ばれる第2次中東戦争、1967年には第3次中東戦争が勃発しますが、いずれもイスラエル側が勝利します。

     

     戦争に勝利したイスラエル政府は全部自分の領土とすることも可能でしたが、西岸地区とガザ地区はパレスチナに返すこととし、2国化体制にしようとしました。

     

     パレスチナは、これも拒否してその後も局地的なテロが続き、2000年にクリントン大統領の下で、イスラエルのバラク首相、アラファトPLO議長が、米国のキャンプデービッドで会談。パレスチナに合意してもらえるようバラク首相は西岸地区、ガザ地区、東エルサレムもパレスチナの領土でいいと提示しましたが、この案もまとまらず。

     

     8年後の2008年にも話し合いが行われましたが、ここでも合意できませんでした。

     

     もともとはオスマン帝国時代にパレスチナ人が多く住んでいた土地だったのですが、様々な戦争などの経緯を経て、イスラエル人が増え、パレスチナは土地がバラバラになってしまいました。

     

     パレスチナはイスラエルとの戦争で敗れてイスラエルは歩み寄ろうとしたものの、パレスチナはユダヤ人が入植してきたということで、イスラエルとの合意を拒否し続けてきた歴史があり、現在は、難民問題を抱えて貧困にあえいでいる状況にあります。

     

     こうした状況下で2020/01/28、トランプ大統領が新たな案を提示。その貧しさにいるパレスチナが経済繁栄する案が、トランプ大統領の案です。

     

     小さな政府や減税、規制緩和、民間をPPPで活用するという内容で、この案がパレスチナにとってベターか?わかりませんが、貧困にあえぐパレスチナを繁栄させようと考えた案としてトランプ政権が考えたものです。

     

     パレスチナがトランプ政権の提案を受け入れるか?否か?未だ答えは出ていません。

     

     私はかつてヨルダンのアンマンを訪れた時、パレスチナ人のガイドさんにガイドをしてもらったことがあります。トランプ政権の案を受け入れて、貧困化から脱することができることができるならば、そうなって欲しいと私は思います。

     

     

     

     というわけで「正式な国家として認められていないパレスチナは、なぜ土地がバラバラなのか?」と題して論説しました。


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